乾坤一筆
6日
大阪市の南海難波駅に隣接する「なんばパークス」。その9階に「南海ホークス メモリアルギャラリー」がある。そこには、野村克也氏に関する展示がない。
1977年9月末、南海は野村克也兼任監督をシーズン2試合を残して解任した。そのため確執が残り、ギャラリーには1963年に当時プロ野球記録を樹立したシーズン52本塁打、65年の三冠王の記録展示も、73年に監督としてリーグ優勝した際の胴上げの写真も飾られていない。
数年前、南海OBの江本孟紀氏とギャラリーを訪ねた。「どこかにノムさんがいるんじゃないか」。一枚一枚写真パネルを確認した。「あった!」。どうしても消しきれない、胴上げの歓喜の輪の中心に野村氏の後ろ姿を見つけた。
1日、ヤフオクドームで、ホークス75周年を記念した「ホークス・レジェンド」のセレモニーで野村氏が懐かしの南海ユニホームを着た。王貞治球団会長、門田博光氏と、通算本塁打のトップ3がそろった。「6月に野村さんが交流戦の解説で福岡にいらしたときに、お誘いしました。南海時代のいきさつは存じていましたが、快諾いただきました」と球団関係者は説明した。
実は70周年だった5年前の開幕戦で、王監督率いるソフトバンクは野村監督の楽天と対戦した。王監督は開幕セレモニーで「今のホークスがあるのも、(楽天側の)三塁ベンチにおられる野村さんをはじめ、多くの先輩たちのおかげです」とスピーチ。野村氏は「クビになった俺に、王が気を使ってくれたのかな」と喜んだ。時間が心をほぐし、今回ホークスのレジェンド(伝説的選手)として、再びユニホームに袖を通した。
5日まで開催されたパ・リーグの「レジェンド・シリーズ」はファンの記憶をたどる好企画だった。埼玉・所沢市生まれの私は学生時代、ライオンズファンだった。当時のホークスは、野村退団後20年連続でBクラスに低迷した。だが稲尾vs野村の名勝負時代の名残か、西武は南海(ダイエー)に苦戦することも多かった。「弱い西武にまた勝った!」。弱いホークスファンに大合唱される屈辱感といったら…。
楽天以外のパ・リーグ5球団は、全てホームタウンが球団創立当初から変わっている。それぞれに、立派な足跡がある。プロ野球は、選手が残した記録と、ファンに残る記憶とともに歩んでいくものだ。(加藤 俊一郎)
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