乾坤一筆
14日
「阿波の金太郎」
妙になつかしい響きだ。現野球解説者の水野雄仁さん(47)。1983年ドラフトの巨人1位指名(翌84年入団)。徳島・池田高校で、エース兼4番打者として活躍した甲子園のヒーローだ。
「やまびこ打線」が流行語にもなった82年夏選手権大会、83年春センバツの優勝メンバー。83年夏は1年生だった桑田&清原のPL学園(大阪)に準決勝で敗れたが、その最強伝説は当時「NHKスペシャル」で特集され、反響の大きさから何度も再放送された。
水野さんとは、駆け出しの契約記者だったころからの付き合い。巨人に指名された直後は、池田町で長期の張り付き取材。水野さんから「池田町に住民票移したら!?」とまで言われた。
最近、会ったのは10月30日、日本シリーズの第3戦(札幌ドーム)だった。いつものように互いの近況報告。そして家族の話題で盛り上がる。
聞けば、水野さんの長男は23歳。現在、サンフランシスコにある名門大学の大学院で法律を学び、米国での弁護士資格取得を目指しているという。当然、英語はペラペラ。昨年は短期バイトでヤクルトに雇ってもらい、助っ人、アーロン・ガイエル外野手(40)の世話役&専属通訳を務めた。
最初は内緒だったが、すぐに「水野の息子」とバレて、巨人在籍時の父親同様、ヤクルトでも「キンタ」の愛称でかわいがられた。キンタの子はキンタ。水野さんにとっては自慢の息子だ。
「そういえばさぁ…」
水野さんがうれしそうに話し始めた。来年4月、甲子園を沸かせた水野さんと同期のメンバーが池田町に集結。「卒業30周年記念」と銘打ち、初の同窓会を開くという。2001年4月に亡くなった元池田高校野球部監督の恩師、"攻めダルマ"こと蔦(つた)文也さん(享年77)のお墓参りから大宴会になだれ込む予定だ。
「蔦さんを継いで、次の仕事は池田の監督かな。桑田がPL学園、松坂が横浜の監督になって甲子園に出たら盛り上がるよね。ちなみに、桑田に打診したら、あいつもその気だったよ」
夢は正夢か。池田・水野、PL学園・桑田の両監督による甲子園の決勝戦をみてみたい。(西村浩一)
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